『雑用という授業はない』
「雑用(授業)で研究が中断される」という声を耳にしたことがあります。
大学教員の仕事は、研究、教育、社会貢献、そして大学運営という4つの柱から成り立っています。しかし、実際には研究に重きを置く風潮が強まり、授業や学生指導が疎かにされることも少なくありません。論文の本数や外部資金の獲得が教員の評価基準に大きく影響する中で、「授業は雑用」という感覚が広がり、教育の重要性が軽視される傾向が見られます。
大学の運営において外部資金の獲得は重要な課題ですが、授業もまたその資金獲得に貢献しています。授業は学生にとっての学びの場であり、彼らが支払う授業料は大学にとって欠かせない財源です。質の高い教育を提供し、学生の満足度を高めることは、大学のブランド向上に直結し、結果として授業料という形で外部資金の獲得にもつながります。授業への注力は、外部からの評価や大学の財政基盤を強化するための重要な活動でもあるのです。
研究による外部資金獲得が主に研究者「個人」の評価に関わる一方で、授業を通じて得られる外部資金(定員充足率)は、教員個人だけでなく、「大学全体」のブランド形成にも寄与します。
大学は、単に研究を行う場ではなく、次世代の人材育成という重要な使命を担っています。研究に専念することが必要な場面もありますが、教育が軽視されては大学の本来の役割を果たすことはできません。
私はその人に「雑用」としての授業は存在せず、教育もまた研究と同様に価値ある活動だと言いたかったのです。
よう言わんけど。。。
一般の人には、研究資金獲得件数の少なさより、定員スカスカの方が、大学ブランドイメージに影響する。
インサイトを見る
0 件のコメント:
コメントを投稿